モハメド殿下の所有するノトーリアスという馬が、1月10日に栗東トレーニングセンターの安田隆行厩舎に入厩した。
順調に行けば2月下旬に武豊騎乗でダートの新馬戦辺りでデビューとのこと。
しかし、その注目度は半端ではないらしい。
普通は新馬戦デビューなどのコーナーで、複数紹介される中の一頭として取り上げられる。
とねっこ(仔馬の意味)一頭の入厩を競馬専門の週刊誌やスポーツ新聞が記事として取り上げることは普通はない。
それがどれだけの良血であってもスポーツ新聞が一頭のみをクローズアップは稀なのである。
血統でも良いのかと調べてみると、父ワイルドサッシュ、母サスペンスクイーン(母父ウッドマン)というもの。
取り立てて騒ぐほどのモノには思えない。
見る人が見ればそれなりに面白い血統構成だとは思う。
しかし、そういう面白い構成の馬が好走したという例は極めて少ない。
この辺はワインに通ずるらしく熟成が必要だと誰かが言っていたことを憶えている。
それに対して私自身は半信半疑だが、この馬に関して血統面のみでどうこう言うのは難しそうだ。
また身体つきにしてもこれから新馬戦という時点でどうこうは言えないし、それ以上に写真も少ない。なので見た目の判断もできかねる。その上、それに関しての専門家の目もほとんどなく、あるのは陣営のインタビュー程度。
昔の調教師なら露知らず、最近の厩舎サイドが入厩し立ての馬に、下げた評価をするのを私は思い当たらない。
昔の調教師は「~クラスまでがやっと」や「問題なくオープンに上がれる」などと入厩時点でもある程度期待度を言う人が多かった。
そして、マスコミ各位もそれらを取り上げ、またメディア自体もはっきりと言うことが往々としてあった。
これは入厩し立ての馬を血統や馬格のみで判断していたことが主流だったからである。
今でもそれがないわけではなく基本的にはあるのだが、昔よりは断定的とは言わず曖昧な言い回し等が増え、それ自体を言わない関係者も多くなった。
1970年中ごろから「世界に通用する馬作り」の意見が高まり、1981年のジャパンカップ開催による「世界の競馬の到来」によって以降大きく変わることになる。
血の入れ替えもさることながら、それ以上に変化が大きかったのは調教場と調教方法である。
ウッドチップや洋芝などの土壌や調教の変革や、育成方法が大幅に取り入れられ、目立たない血統の馬でも育て方や調教によって強い競走馬として活躍できるようにもなった。そうなってくると入厩時点での判断や評価が覆ることが非常に多くなった。
そういうこともあり旧来の方法や考え方は影を潜め、陣営やマスコミのファーストインプレッションでの評価が口から出ることが次第に少なくなっていったように私は思う。
(あくまでも昔と比べた場合の評価の方法が減った変わったというは話でそこは誤解のないように。最近は一定レベルと越えたのだろう。変革真っ只中の時期と比べるとそれも稀となってきている。)
別段それ自体に何が問題があるわけではない。ある観点から見れば実にすばらしいと思う。
なので、別に評価を出さないからといって何が悪いわけでもない、でもそれは関係者までの話。
ノトーリアスの記事をどの新聞雑誌で見ても、そう大差ない内容であった。
今の時期から好評不評を断定的に書くものではないというのは、頭の悪い私であっても多少は分かっているつもりである。
ならなぜ、こうも大きくとらえたのだろうか?
国外居住馬主デビュー第1号であり、中東の大富豪の所有馬だからである。
ある意味厩舎サイドがどうこうは言えまい。下手な事を言えばオマンマの食い上げである。
しかし、メディアはどうなのだろう?
ひん曲がった見方なのだと自分でも思うが、少し大きく取り上げすぎてはいないだろうか?
食いつきたくなる気持ちはそれなりに理解できるし、注目を受けないよりはずっと良いとは思う、しかしあまり意味のない重圧を今の時期からかけるのは如何なものかとも私は考える。
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順調に行けば2月下旬に武豊騎乗でダートの新馬戦辺りでデビューとのこと。
しかし、その注目度は半端ではないらしい。
普通は新馬戦デビューなどのコーナーで、複数紹介される中の一頭として取り上げられる。
とねっこ(仔馬の意味)一頭の入厩を競馬専門の週刊誌やスポーツ新聞が記事として取り上げることは普通はない。
それがどれだけの良血であってもスポーツ新聞が一頭のみをクローズアップは稀なのである。
血統でも良いのかと調べてみると、父ワイルドサッシュ、母サスペンスクイーン(母父ウッドマン)というもの。
取り立てて騒ぐほどのモノには思えない。
見る人が見ればそれなりに面白い血統構成だとは思う。
しかし、そういう面白い構成の馬が好走したという例は極めて少ない。
この辺はワインに通ずるらしく熟成が必要だと誰かが言っていたことを憶えている。
それに対して私自身は半信半疑だが、この馬に関して血統面のみでどうこう言うのは難しそうだ。
また身体つきにしてもこれから新馬戦という時点でどうこうは言えないし、それ以上に写真も少ない。なので見た目の判断もできかねる。その上、それに関しての専門家の目もほとんどなく、あるのは陣営のインタビュー程度。
昔の調教師なら露知らず、最近の厩舎サイドが入厩し立ての馬に、下げた評価をするのを私は思い当たらない。
昔の調教師は「~クラスまでがやっと」や「問題なくオープンに上がれる」などと入厩時点でもある程度期待度を言う人が多かった。
そして、マスコミ各位もそれらを取り上げ、またメディア自体もはっきりと言うことが往々としてあった。
これは入厩し立ての馬を血統や馬格のみで判断していたことが主流だったからである。
今でもそれがないわけではなく基本的にはあるのだが、昔よりは断定的とは言わず曖昧な言い回し等が増え、それ自体を言わない関係者も多くなった。
1970年中ごろから「世界に通用する馬作り」の意見が高まり、1981年のジャパンカップ開催による「世界の競馬の到来」によって以降大きく変わることになる。
血の入れ替えもさることながら、それ以上に変化が大きかったのは調教場と調教方法である。
ウッドチップや洋芝などの土壌や調教の変革や、育成方法が大幅に取り入れられ、目立たない血統の馬でも育て方や調教によって強い競走馬として活躍できるようにもなった。そうなってくると入厩時点での判断や評価が覆ることが非常に多くなった。
そういうこともあり旧来の方法や考え方は影を潜め、陣営やマスコミのファーストインプレッションでの評価が口から出ることが次第に少なくなっていったように私は思う。
(あくまでも昔と比べた場合の評価の方法が減った変わったというは話でそこは誤解のないように。最近は一定レベルと越えたのだろう。変革真っ只中の時期と比べるとそれも稀となってきている。)
別段それ自体に何が問題があるわけではない。ある観点から見れば実にすばらしいと思う。
なので、別に評価を出さないからといって何が悪いわけでもない、でもそれは関係者までの話。
ノトーリアスの記事をどの新聞雑誌で見ても、そう大差ない内容であった。
今の時期から好評不評を断定的に書くものではないというのは、頭の悪い私であっても多少は分かっているつもりである。
ならなぜ、こうも大きくとらえたのだろうか?
国外居住馬主デビュー第1号であり、中東の大富豪の所有馬だからである。
ある意味厩舎サイドがどうこうは言えまい。下手な事を言えばオマンマの食い上げである。
しかし、メディアはどうなのだろう?
ひん曲がった見方なのだと自分でも思うが、少し大きく取り上げすぎてはいないだろうか?
食いつきたくなる気持ちはそれなりに理解できるし、注目を受けないよりはずっと良いとは思う、しかしあまり意味のない重圧を今の時期からかけるのは如何なものかとも私は考える。
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